口福料理店”福”の管理人が探る幸せになるための技術!
世界価値観調査
 6月30日、世界価値観調査の結果が発表されました。それによると、デンマークが世界で「最も幸せな国」に選ばれたそうです。米国は16位、最下位はジンバブエだったのだそうです。

残念ながらロイターの記事にはここまでしか載っていません。発見したら後日お知らせします。

さて日本は何位だったのでしょうか?
そして、幸福度が高いと評判の国、ブータンの順位も気になるところです。

デンマークは九州と同程度の面積に約543万人が暮らす小さな国で、正しくは「デンマーク王国」です。

世界で一番住みやすい国であるという調査結果を以前耳にしたことがありますが、その理由は高い消費税(25%)はとられるものの、充実した福祉システムだったと記憶しています。

おまけに、世界経済フォーラムの2006、2007年、2年連続で世界の情報通信技術(ICT)の整備度についてのランキングでデンマークが首位でした。ちなみに日本は14位から19位にダウンでした。

福祉とITの充実。そのあたりが関係しているのかもしれませんね。



*世界価値観調査とは
米国政府が出資している社会科学者の国際ネットワークが定期的に実施している。同調査は1981年から定期的に実施されており、今回はミシガン大社会調査研究機関の政治学者、ロナルド・イングルハート氏が率いた。52の国の35万人を対象に「すべてを総合的に見て、今自分が幸せかどうか」と「総合的に考えて、自分の最近の生活にどの程度満足しているか」という2つの質問を行った。

 
2008年07月02日(水) 16:37
幸福とは”欲求が満たされること”
福のブログ”幸福道”は幸福ってなあに?をテーマにして色んな格言などを紹介しながら、幸福になるための方法を探っています。


そこで問題になるのが幸福ってなあに?という定義の問題です。これが定まらないと明快にその方法をイメージすることはできませんよね。


ですから今日は仮説として幸福とは”欲求が満たされること”と定義して考えてみることにします。


アメリカの心理学者アブラハム・マズローによれば人間の欲求は次のような階層構造になっているそうです。これを5つの欲求階層論といいます。

  欠乏欲求
1) 生理的欲求(生存本能に基づく欲求)
2) 安全への欲求(危険な目に遭いたくない、安心して生きたいという欲求)
3) 所属と愛の欲求(仲間になりたい、愛されたいという集団帰属の欲求)
4) 承認欲求(仲間に認められたいという認知欲求)
  成長欲求
5) 自己実現の欲求(何かを達成したいという欲求)

マズローはこういってます。
「人間はある階層の欲求が満たされると、1階層上の欲求を志す」。
つまり、下位の欲求が満たされるとより高次の欲求が生まれるということです。

1から5まで欲求の階層はおおまかに納得できます。

問題は5の何かを達成したいという自己実現の欲求が実現したら、次に人間がめざす1階層上の欲求とはなにか?

またそれが達成された時に生まれる欲求はなんでしょうか?

結局、幸福を欲求の満たしととらえると、永遠の迷宮にはまるということなのかもしれません。

つづきはまたいずれ。




2008年06月13日(金) 10:16
お坊さんの幸福弁当


でるでると聞いてましたが、噂は本当でしたよ、お坊さんの出張お弁当屋さん。

ランチしに代官山へ。駅をでたすぐのローソンのはす向かいの、みずほ銀行ATMの近くにお坊さんがスパーカブをとめて、なにやら店開きの準備。どんな弁当なんだろ、いやぁ、買いたいなあ、でも今からランチだしなあ。で、結局観察にとどまりました。

聞くところによるとそのおいしさとヘルシーさが口コミで広まり常に時間帯によっては数人の行列が出来ているそうだ。サイズが大と中があり、大は1250円。

僧侶の名は三帰天海(みきてんかい)さん。この方、ニューヨークのインド系の寺院の厨房やアパレルブランドのベジタリアン社員食堂の専属料理人として勤務したこともあるという僧侶でありながらユニークな経歴の持ち主だそうです。

お坊さん(なぜ?)×精進料理弁当(ヘルシーでうまい!)×出張販売(意外性もたっぷり!)=話題性大



福もヘルシーでおいしいランチを始めたいと思ってます。いましばらくおまちください。
2008年04月11日(金) 14:43
実在した福の神
今日は明治時代に生きる福の神といわれた人の話を紹介します。

せん。



仙台四郎は明治時代に実在した人物で、この四郎さんが立ち寄る店が皆繁盛した事から、「福の神」と言われるようになりました。

火の見櫓のそばに生家があったため、櫓下四郎とも呼ばれた聡明な子供だったが、7歳の時、花火見物中に、誤って広瀬川に転落して溺れ、1週間意識不明で生死の境をさまよいました。それが元で、知能の発達が遅れだし、言葉は「バアヤン」としか話さず、市中を歩き回って人に金品をもらったりしていました。その後四郎さんは街を徘徊するようになり、箒(ほうき)が立てかけてれば、勝手に店の前を掃いたり、店先にひしゃくを入れたままの水おけがあれば、これまた勝手に水をまく。といった行動をとったようです。やがて四郎さんが掃除した店は繁盛すると噂されるようになり、「福の神」と呼ばれるようになるわけですが、実際に四郎さんが立ち寄った店は客が入るようになったそうです。「四郎馬鹿(シロバカ)」などとも呼ばれましたが、立ち寄る店は必ず繁盛するとされたため、どこでも無料でもてなされました。 

四郎さんが「福の神」と噂されるようになると、わざと店の前に箒(ほうき)を立てかけたり水おけを置き、四郎さんを招き入れようとする店が増えたそうですが、そのような下心のある店には寄りつかなかったそうです。

写真が一枚だけ残っており、大正に入るころに、仙台市内の千葉写真館が「明治福の神(仙台四郎君)と銘打ってこの写真を売り出したました。このときから「仙台四郎」と呼ばれるようになったそうです。

山下清画伯と同じように、真にそこにいる人の良い心根と、はやり廃りを見抜く才能があったのかもしれません。

不思議なお話です。
2008年03月06日(木) 12:14
幸福のシンボル
そうだ!福をもっと幸福なお店にするために、幸福のシンボルを集めよう!と思い立ちましたが、さてさて、そのシンボルとはなんでしょう?

というわけで、幸福を象徴する動植物を探してみました。

まずはコウモリ。
中国ではコウモリが幸福のシンボルだそうです。コウモリは中国語で「蝠」と「福」が同じ発音であることから、 幸福のシンボルとして、広く使われているそうです。 5匹のコウモリが描かれたものは、「五福」 すなわち 長寿・富貴・健寧・好徳・善終を意味するものとして、最も好まれます。
おもしろいですね。

つづいてはクローバ。
これは日本でもなじみ深いですね。ヨーロッパでは昔からクローバーは神聖な植物をされてきました。5世紀、異教徒達に教義を説くためにアイルランドに送られたパトリックは、「神と子と聖霊は三にして一であるという「三位一体」の教えを人々に説明する際、1つのクローバーを取り上げ、3枚の葉は1つの植物を形つくっていると自然の実例を通して彼らに示し教義を説きました。そこから、クローバーの三枚の葉は『愛』 『希望』 『信仰』のシンボルになり、珍しい四つ葉のクローバーは十字架に似ている事から、加えて『幸福』のシンボルとなったそうです。


さて、今度はアーモンド。(これは動物ではないですが・・・ついでに。)
アーモンドは古くから宗教的儀式や祝い事において、幸福の"シンボル"としての役割を果たしているそうです。 古代ローマ人は、出産を願うおまじないとして新婚夫婦をアーモンドシャワーで祝いました。今日のアメリカでも結婚式のゲストに幸福、健康、愛や好運を願って砂糖でコーティングしたアーモンドをプレゼントしています。 ヨーロッパではクリスマスやお正月のお菓子にアーモンドを一粒隠し入れて幸運を占う習慣があります。例えばスウェーデンではシナモンフレーバーのライスプディングなどにアーモンドを入れて楽しみます。
いろいろありそうなので・・・

つづく。

2008年03月03日(月) 11:22
Good Friend , Good Food , Good Life
福には”Good Friend , Good Food , Good Life"というタイトルの写真集があります。これは福で行われたとあるパーティを撮影し写真集にしたものなんですが、どう見てもプロが撮影、編集し出版されている写真集にしか見えないほど良くできています。昨年の忘年会を機にはじまったパーティの皆さんの何気ない笑顔が映されているんですが、これがカメラを意識せず皆幸せそうに映っているよい写真なのです。その名は口福パーティ。福にちなんで名づけていただきました。

撮影、編集とも先日までムーバブルタイプを開発している”シックスアパート社”の前代表のバラック(オバマとは関係ありません。)さんです。現在はパロアルト在住ですが、なんとパーティの一週間後にこの写真集が送られてきてびっくり。

ウェブサービスで写真集をつくれるところがあるという話は知っていましたが、このクオリティでできることには正直驚きました。便利な時代です。そこで思いついたのが、この”口福パーティ”をつづけて、すべて写真集として残すというアイデアです。


まずは口福パーティ1の表紙の写真を掲載します。中身は”福”でみてくださいませ。


2008年02月25日(月) 11:57
賢者の贈り物
みなさん。

チョコたくさんもらいましたか?

今日はプレゼントにちなんでアメリカの作家オー・ヘンリーの短編をご紹介します。シニカルですがとても愛と幸福にあふれたお話です。

よろしければお読みください。

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賢者の贈り物

The Gift of the Magi

オー・ヘンリー作
結城浩訳

1ドル87セント。 それで全部。 しかもそのうち60セントは小銭でした。 小銭は一回の買い物につき一枚か二枚づつ浮かせたものです。 乾物屋や八百屋や肉屋に無理矢理まけさせたので、 しまいに、こんなに値切るなんてという無言の非難で頬が赤くなるほどでした。 デラは三回数えてみました。 でもやっぱり1ドル87セント。 明日はクリスマスだというのに。

これでは、まったくのところ、粗末な小椅子に突っ伏して泣くしかありません。 ですからデラはそうしました。 そうしているうちに、 人生というものは、わあわあ泣くのと、しくしく泣くのと、微笑みとでできており、 しかも、わあわあ泣くのが大部分を占めていると思うようになりました。

この家の主婦が第一段階から第二段階へと少しづつ移行している間に、 家の様子を見ておきましょう。 ここは週8ドルの家具付きアパートです。 全く筆舌に尽くしがたいというわけではないけれど、 浮浪者一掃部隊に気をつけるためにアパートという名前をつけたに違いありません。

階下には郵便受けがありましたが手紙が入る様子はなく、 呼び鈴はありましたが人間の指では鳴らせそうもありません。 その上には「ミスター・ジェームズ・ディリンガム・ヤング」 という名前が書かれた名刺が貼ってありました。

その「ディリンガム」の文字は、 その名の持ち主に週30ドルの収入があった繁栄の時代にはそよ風にはためいてきました。 でもいまや収入は20ドルに減ってしまい、 文字たちはもっと慎ましく謙遜な「D」一文字に押し縮めようかと真剣に考えているようでした。 しかし、ジェームズ・ディリンガム・ヤング氏が家に帰って二階のアパートに着くと、 すでにデラとしてご紹介済みのジェームズ・ディリンガム・ヤング夫人が、 「ジム」と呼びながら、いつでもぎゅうっと夫を抱きしめるのでした。 これはたいへん結構なことですね。

デラは泣くのをやめ、頬に白粉をはたくのに意識を集中させました。 デラは窓辺に立ち、灰色の裏庭にある灰色の塀の上を灰色の猫が歩いているのを物憂げに見ました。 明日はクリスマスだというのに、ジムに贈り物を買うお金が1ドル87セントしかありません。 何月も何月もコツコツとためてきたのに、これがその結果なのです。 週20ドルでは、大したことはできません。 支出はデラが計算した以上にありました。 支出というものはいつだってそういうものでした。 ジムへの贈り物を買うのに1ドル87セントしかないなんて。 大切なジムなのに。 デラは、ジムのために何かすばらしいものをあげようと、長い間計画していたのです。 何か、すてきで、めったにないもの ―― ジムの所有物となる栄誉を受けるに少しでも値する何かを。

その部屋の窓と窓の間には姿見の鏡が掛けられていました。 たぶんあなたも8ドルの安アパートで見たことのあるような姿見でした。 たいそう細身で機敏な人だけが、 縦に細長い列に映る自分をすばやく見てとって、 全身像を非常に正確に把握することができるのでしょう。 デラはすらっとしていたので、その技術を会得しておりました。

急にデラは窓からくるりと身をひるがえし、その鏡の前に立ちました。 デラの目はきらきらと輝いていましたが、顔は20秒の間、色を失っていたのでした。 デラは手早く髪を下ろし、その長さいっぱいまで垂らしました。

さて、ジェームズ・ディリンガム・ヤング家には、 誇るべき二つのものがありました。 一つはジムの金時計です。 かつてはジムの父、そしてその前にはジムの祖父が持っていたという金時計。 もう一つはデラの髪でした。 シバの女王が通風縦孔の向こう側のアパートに住んでいたとしましょう。 ある日、デラが窓の外にぬれた髪を垂らして乾かそうとしたら、 それだけで、女王様の宝石や宝物は色あせてしまったことでしょう。 また、ソロモン王がビルの管理人をやっていて、宝物は地下室に山積みしていたとしましょう。 ジムが通りがかりに時計を出すたび、王様はうらやましさのあまり、ひげをかきむしったことでしょう。

さて、そのデラの美しい髪は褐色の小さな滝のようにさざなみをうち、 輝きながら彼女のまわりを流れ落ちていきました。 髪はデラの膝のあたりまで届き、まるで長い衣のようでした。 やがてデラは神経質そうにまた手早く髪をまとめあげました。 ためらいながら1分間じっと立っていました。 が、そのうちに涙が一粒、二粒、すりきれた赤いカーペットに落ちました。

デラは褐色の古いジャケットを羽織り、褐色の古い帽子をかぶりました。 スカートをはためかせ、目にはまだ涙を光らせて、 ドアの外に出ると、表通りへ続く階段を降りていきました。

デラが立ち止まったところの看板には、 「マダム・ソフロニー。ヘア用品なら何でも。」と書いてありました。 デラは階段を一つかけのぼり、胸をどきどきさせながらも気持ちを落ち着けました。 女主人は大柄で、色は白すぎ、冷ややかで、とうてい「ソフロニー」という名前のようには見えませんでした。

「髪を買ってくださいますか」とデラは尋ねました。

「買うさ」と女主人は言いました。 「帽子を取って見せなさいよ」

褐色の滝がさざなみのようにこぼれ落ちました。

「20ドル」手馴れた手つきで髪を持ち上げて女主人は言いました。

「すぐにください」とデラは言いました。

ああ、それから、薔薇のような翼に乗って2時間が過ぎていきました。 …なんて、使い古された比喩は忘れてください。 デラはジムへの贈り物を探してお店を巡っておりました。

そしてとうとうデラは見つけたのです。 それは確かにジムのため、ジムのためだけに作られたものでした。 それほどすばらしいものはどの店にもありませんでした。 デラは全部の店をひっくり返さんばかりに見たのですから。 それはプラチナの時計鎖で、デザインはシンプルで上品でした。 ごてごてした飾りではなく、 素材のみがその価値を主張していたのです ―― すべてのよきものがそうあるべきなのですが。 その鎖は彼の時計につけるのにふさわしいとまで言えるものでした。 その鎖を見たとたん、これはジムのものだ、とデラにはわかりました。 この鎖はジムに似ていました。 寡黙だが、価値がある ―― この表現は鎖とジムの両者に当てはまりました。 その鎖には21ドルかかり、デラは87セントをもって家に急いで帰りました。 この鎖を時計につければ、 どんな人の前でもちゃんと時間を気にすることができるようになるでしょう。 時計はすばらしかったのですが、 鎖の代わりに古い皮紐をつけていたため、 ジムはこそこそと見るときもあったのです。

デラが家に着いたとき、興奮はやや醒め、分別と理性が頭をもたげてきました。 ヘアアイロンを取り出し、ガスを着けると、 愛に気前の良さを加えて生じた被害の跡を修繕する作業にかかりました。 そういうのはいつも大変な仕事なのですよ、ねえあなた ―― とてつもなく大きな仕事なのですよ。

40分のうちに、デラの髪は小さく集まったカールで覆われました。 髪型のせいで、まるで、ずる休みした学童みたいに見えました。 デラは、鏡にうつる自分の姿を、長い間、注意深く、ためつすがめつ見つめました。

「わたしのことを殺しはしないだろうけれど」とデラは独り言をいいました。 「ジムはわたしのことを見るなり、 コニーアイランドのコーラスガールみたいだって言うわ。 でもわたしに何ができるの ―― ああ、 ほんとうに1ドル87セントで何ができるっていうの?」

7時にはコーヒーの用意ができ、 フライパンはストーブの上にのり、 チョップを焼く準備ができました。

ジムは決して遅れることはありませんでした。 デラは時計の鎖を手の中で二重に巻き、 彼がいつも入ってくるドアの近くのテーブルの隅に座りました。 やがて、ジムがはじめの階段を上ってくる足音が聞こえると、デラは一瞬顔が青ざめました。 デラは毎日のちょっとしたことでも小さな祈りを静かに唱える習慣がありましたが、 このときは「神さま。 どうかジムがわたしのことを今でもかわいいと思ってくれますように」とささやきました。

ドアが開き、ジムが入り、ドアを閉めました。 ジムはやせていて、生真面目な顔つきをしていました。 かわいそうに、まだ22歳なのに ―― 彼は家庭を背負っているのです。 新しいオーバーも必要だし、手袋もしていませんでした。

ジムは、ドアの内で立ち止まりました。 うずらの匂いにじっとしている猟犬と同じように、そのまま動きませんでした。 ジムの目はデラに釘付けでした。 そしてその目には読み取ることのできない感情が込められていて、 デラは恐くなってしまいました。 それは憤怒ではなく、驚嘆でもなく、拒否でもなく、恐怖でもなく、 デラが心していたどんな感情でもありませんでした。 ジムは顔にその奇妙な表情を浮かべながら、 ただ、じっとデラを見つめていたのです。

デラはテーブルを回ってジムの方へ歩み寄りました。

「ジム、ねえ、あなた」デラは声をあげました。 「そんな顔して見ないで。 髪の毛は切って、売っちゃったの。 だって、あなたにプレゼント一つあげずにクリスマスを過ごすなんて絶対できないんだもの。 髪はまた伸びるわ ―― 気にしない、でしょ? こうしなきゃ駄目だったの。 ほら、わたしの髪ってすごく早く伸びるし。 『メリー・クリスマス』って言ってよ、ジム。 そして楽しく過ごしましょ。 どんなに素敵な ―― 綺麗で素敵なプレゼントをあなたに用意したか、 当てられないわよ」

「髪を切ったって?」とジムは苦労しつつ尋ねました。 まるで、懸命に頭を働かせても明白な事実にたどり着けないようなありさまでした。

「切って、売っちゃったの」とデラは言いました。 「それでも、わたしのこと、変わらずに好きでいてくれるわよね。 髪がなくても、わたしはわたし、よね?」

ジムは部屋をさがしものでもするかのように見まわしました。

「髪がなくなっちゃったって?」ジムは何だか馬鹿になったように言いました。

「探さなくてもいいのよ」とデラは言いました。 「売っちゃったの。だから、―― 売っちゃったからなくなったのよ。 ねえ、クリスマスイブでしょ。 優しくして。 髪がなくなったのは、あなたのためなのよ。 たぶん、わたしの髪の毛の一本一本まで神様には数えられているでしょうね」 デラは急に真面目になり、優しく続けました。 「でも、わたしがあなたをどれだけ愛しているかは、 誰にもはかることはできないわ。 チョップをかけてもいい、ジム?」

ジムはぼうっとした状態からはっと戻り、デラを抱きしめました。 さて、それではここで10秒間、 趣を変えたささやかな事柄について控え目に吟味をしてみましょう。 週8ドルと年100万ドル ―― その違いは何でしょうか。 数学者や知恵者に尋ねたら、誤った答えが返って来るでしょう。 東方の賢者は高価な贈り物を持ってきましたが、その中に答えはありませんでした。 何だか暗いことを申しましたが、ここで述べた言明は、後にはっきりと光り輝くことになるのです。

ジムはオーバーのポケットから包みを取り出すと、 テーブルに投げ出しました。

「ねえデラ、僕のことを勘違いしないで。 髪型とか肌剃とかシャンプーとか、 そんなもので僕のかわいい女の子を嫌いになったりするもんか。 でも、その包みを開けたら、 はじめのうちしばらく、どうして僕があんな風だったかわかると思うよ」

白い指がすばやく紐をちぎり紙を破りました。 そして歓喜の叫びが上がり、 それから、ああ、 ヒステリックな涙と嘆きへと女性らしくすぐさま変わっていったのです。 いそいで、そのアパートの主人が必死になって慰めなければなりませんでした。

包みの中には櫛(くし)が入っていたのです ―― セットになった櫛で、 横と後ろに刺すようになっているものでした。 その櫛のセットは、 デラがブロードウェイのお店の窓で、長い間あがめんばかりに思っていたものでした。 美しい櫛、ピュアな亀甲でできていて、 宝石で縁取りがしてあって ―― 売ってなくなった美しい髪にぴったりでした。 その櫛が高価だということをデラは知っていました。 ですから、心のうちでは、その櫛がただもう欲しくて欲しくてたまらなかったのですけれど、 実際に手に入るなんていう望みはちっとも抱いていなかったのです。 そして、いま、この櫛が自分のものになったのです。 けれども、この髪飾りによって飾られるべき髪の方がすでになくなっていたのでした。

しかし、デラは櫛を胸に抱きました。 そしてやっとの思いで涙で濡れた目をあげ、微笑んでこう言うことができました。 「わたしの髪はね、とっても早く伸びるのよ、ジム!」

そしてデラは火で焼かれた小猫のようにジャンプして声をあげました。 「きゃっ、そうだ!」

自分がもらう美しい贈り物をジムはまだ見ていないのです。 デラは手のひらに贈り物を乗せ、ジムに思いを込めて差し出しました。 貴金属の鈍い光は、 デラの輝くばかりの熱心な気持ちを反射しているかのようでした。

「ねえ素敵じゃない? 町中を探して見つけたのよ。 あなたの時計にこの鎖をつけたら、 一日に百回でも時間を調べたくなるわよ。 時計、貸してよ。この鎖をつけたらどんな風になるか見たいの」

デラのこの言葉には従わず、 ジムは椅子にどさりと腰を下ろし、 両手を首の後ろに組んでにっこりと微笑みました。

「ねえデラ。僕達のクリスマスプレゼントは、 しばらくの間、どこかにしまっておくことにしようよ。 いますぐ使うには上等すぎるよ。 櫛を買うお金を作るために、僕は時計を売っちゃったのさ。 さあ、チョップを火にかけてくれよ」

東方の賢者は、ご存知のように、 賢い人たちでした ―― すばらしく賢い人たちだったんです ―― 飼葉桶の中にいる御子に贈り物を運んできたのです。 東方の賢者がクリスマスプレゼントを贈る、という習慣を考え出したのですね。 彼らは賢明な人たちでしたから、もちろん贈り物も賢明なものでした。 たぶん贈り物がだぶったりしたときには、別の品と交換をすることができる特典もあったでしょうね。 さて、わたくしはこれまで、つたないながらも、 アパートに住む二人の愚かな子供たちに起こった、平凡な物語をお話してまいりました。 二人は愚かなことに、家の最もすばらしい宝物を互いのために台無しにしてしまったのです。 しかしながら、今日の賢者たちへの最後の言葉として、こう言わせていただきましょう。 贈り物をするすべての人の中で、この二人が最も賢明だったのです。 贈り物をやりとりするすべての人の中で、 この二人のような人たちこそ、最も賢い人たちなのです。 世界中のどこであっても、このような人たちが最高の賢者なのです。 彼らこそ、本当の、東方の賢者なのです。

Copyright (C) 1999 Hiroshi Yuki (結城 浩)
本翻訳は、この版権表示を残す限り、 訳者および著者にたいして許可をとったり使用料を支払ったりすること一切なしに、 商業利用を含むあらゆる形で自由に利用・複製が認められます。

プロジェクト杉田玄白正式参加作品。
2008年02月15日(金) 11:30
幸せを感じる時はいつ?
アサヒビールお客様生活文化研究所 通称ハピ研が”幸せ”に関するおもしろい調査をしていますので調査結果をいくつかご紹介します。

◎幸せを表す色は?
連想する“具体物”により大きな違いがありますが男女ともピンクが第一位でした。
ちなみに男女とも2位はオレンジで3位はイエローです。結果は時代とともに変わるのでしょうから、今はピンクの時代なのですね。

◎幸せをイメージする自然は?
一位は男性が”春” 女性が”花畑”でした

◎幸せをイメージする「飲み物」は?
男性は「ビール」女性は「ワイン」でした。
この結果を反映してアサヒは女性が幸せを感じるイメージのビールをだすのでしょうか?

◎幸せを感じる時、状況は?
男=1位:家族団欒 2位:子ども(孫)の成長 3位:家族旅行
女=1位:家族団欒 2位:健康なこと     3位:家族旅行
やはり家族で楽しむのが一番の幸せの基のようです。




調査概要
調査名:生活意識調査
調査対象:20歳以上の男女
有効回答数:2,316人を対象にアンケートを実施し、そのうち910人を無作為抽出
調査方法:インターネット調査
調査期間:2007年10月24日〜10月31日
2008年01月31日(木) 16:29
一日一笑
「幸福だから笑うわけではない。むしろ、笑うから幸福なのだと言いたい。」

アラン





笑いには2つの効能があるそうです。
一つは、免疫機能活性化ホルモンが全身に分泌され、免疫機能が高まり、各種病の予防作用と機能改善が図られます。
2つ目は、βエンドルフィンというホルモンが大量に分泌され、快感作用と鎮静作用をが生じるそうです。

病気の予防とともに快感が得られるなんてすごいですね。

私の知り合いは、朝起きで必ず鏡の前で笑顔の練習をするそうです。不思議なもので別におかしくも無いのに無理やりにでも笑顔を創ると、どんなにいらいらしていても自然に心が優しい気持ちになり、爽快な気分になるそうです。そして意識的に一日中笑顔を続けられるようにしているそうです。

確かに顔に怒りの表情を作ると怒りの感情が、鳴き真似をすると悲しさが湧き上がってくるのがわかります。表情と感情がリンクしているということですね。

人が笑ったのにつられて、自分も笑い始め、ついには笑いが止まらなくなった経験があります。笑いの刑が本当にあったのかどうかしりませんがあ、全身が痙攣しているようでとても、苦しかったのを覚えています。

笑いは伝染するようです。

つまり、笑いという感情表現は共感力がとてもつよく、人を媒介にあっというまに伝染する力をもっているのでしょう。

また、なんでも笑えばよいかというと、そうでもなく、やはり、人をバカにして笑う、あとで罪悪感の残る笑いよりは、他者と共感できるあったかい笑いの方が良いみたいです。


なにはともあれ、笑うと幸福なれるのは科学的にも統計的にも確かなことのようです。


最後に笑いのことわざをいくつか。

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笑いは人の薬


笑って損した者なし


笑って暮らすも一生,泣いて暮らすも一生

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みなさん、今日から思いきり笑う人生にしませんか?





2008年01月24日(木) 10:50
中村天風
「終始一貫、笑顔でとおすようにしてごらん。不運な人、体の弱い人は、ひとしお、笑いに努力するんだ。笑うにつれて、人生の幸福と幸運がどんどん開けてくるから…。」
中村天風(天風会創設者)


すごい人です、中村天風。Wikipediaの履歴を読んだだけでも、これは映画のシナリオになるなあと映像が浮かんできます。彼のことは今まで知りませんでした。出身地を見て驚きました。なんと私の友人の親戚に当たる人なんですね。

「父祐興は旧柳川藩士で、中村家は柳川藩藩主である立花家と遠縁にあたる。」ということで友人は立花家の人であります。

その彼女、たまに福にきてお店を手伝ってくれています。

というわけで、とてもご縁を感じる方です。

彼に師事した著名人です。
宇野千代
東郷平八郎
原敬
松下幸之助
藤平光一
尾崎行雄
稲盛和夫

以下彼の哲学を他サイトから引用します。

いいこといってます。

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天風哲学の概念

 人生のすべてのできごとは、すべて自分のこころがつくりだしている。「目にふれる一切合財はすべて人間の心の思考から生みだされている」その人が「強く思ったことは必ず現実化する」「自分の現在の姿は自分の心がつくりだしたものである」豊かさも貧乏も、健康も不健康も、すべて自分が思ったとうりになっている。
「人生苦もありゃ楽もある」と考える人は、その通りの人生を送るし、 「人生ろくなことしかない」と考える人は、実際に悲惨な一生を送る。 人生が二度ない以上、「人生は楽しく過ごすもの」と強く思考せよと言い切る。「この世は苦しいものでも悩ましいものでもない。本質的に楽しい、うれしい、そして調和した美しい世界なのである」

「宇宙の造物主は、もともと人間を強く幸福に生きるように造った」 「人間の力でどうしようもない運命はそう沢山あるものではない」。 そもそも「蒔いたとおりに、花が咲く」つまり「人生は心ひとつのおきどころ。思い方考え方で人生の一切をよくもし悪くもする」 「こころに犬小屋みたいな設計を描いて広壮な邸宅などできるはずがない」

「ぐんと勢いよく生きていけ。毎日これでもか、これでもかという勢いで生きていくんだ」「心が積極化されていれば、そう努力しなくても苦労しなくても幸福になれるように、人間はできているんだ」

 天風先生はものの考え方だけでなく、「幸福に楽しくなる具体的な方法」を説きました。そしてこれを実現するための基本的な訓練として心身統一法があります。


ソース:http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3860/biografias/tempu.html

2008年01月17日(木) 22:18
百歳への招待
みなさま

明けましておめでとうございます。

ちょっとピンボケですが、皇居脇に咲いていました。



今年は年明けから、曇りのない美しいお天気がつづいていて、とても気分がよいです。なんだかとても良い年になりそうでワクワクします。

そこで知人の家に年始に行った時に飾ってあった言葉を紹介して年初めの御挨拶にさせていただきます。

題して
「”100歳へのご招待”

少肉多菜
少塩多酢
少糖多果
少衣多浴
少車多歩
少怒多笑
少言多行
少浴多施 

古くからある東洋医学の言葉です。時々思い出してご実行ください。一度限りの人生も楽しく過ごせると思います。」

では今年も”福”をよろしくお願いいたします。
2008年01月02日(水) 08:34
フランクリンの十三徳

豊かなのは誰だろう?
それは満足している者。
満足しているのは誰か。誰もいない。
            ベンジャミン・フランクリン

ベンジャミン・フランクリンは、アメリカ合衆国の政治家、外交官、物理学者で、気象学者でもあります。そういえば100ドル札にも描かれていますね。印刷業で成功を収めた後、政治家としても活躍しました。

この格言は、樽を汁、いや”足るを知る”ということばの意味と同じかと思います。石庭で有名な竜安寺にあるつくばいに吾唯足知(われただたるをしる)」と刻まれています。口を中心として見せるグラフィック的になかなかに禅的でクールです。
*参照ページ:http://www.happy-1life.com/waretada.htm
これは禅の格言ですが、他の賢人も同じようなことを言っています。老子は「禍は足るを知らざるより大なるは無い(最大の災厄は足るを知らぬ心に起因している)」「足るを知るの足るは恒に足る(足るを知るとはあるがままの現実に常に満足すること)」「足るを知る者は富む」と言っております。

竜安寺のつくばい



以下幸福?であるための13条ウイキペディアで見つけましたので添付します。なんというか、とても王道です。

フランクリンの十三徳

 節制 飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
 沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。
 規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
 決断 なすべきをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
 節約 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
 勤勉 時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
 誠実 詐りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出ですこともまた然るべし。
 正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
 中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
 清潔 身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
 平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
 純潔 性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これに耽(ふけ)りて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
 謙譲 イエスおよびソクラテスに見習うべし。

年末です。みなさん足るを知りながら、楽しんでくださいね。

2007年12月19日(水) 19:38
国民総幸福
幸せの国 ブータン

国民総幸福(GNH)ってなんでしょうか?

オタク文化を象徴するJapan Cool という言葉が流行りましたが、これはもともとGNC:グロスナショナルクールからきています。GNP:グロスナショナルプロダクト(国民総生産)が国の力をプロダクトの生産量で測るのにに対して、GNC:グロスナショナルクールは国の力を文化の生産量で測るという考え方です。

同じようにGNH:グロスナショナルハッピネス(国民総幸福)とは国の力を幸福量で測ろうという考え方です。そもそも抽象的な概念である「幸福」の量をどうやって算出するのでしょうか? 

GNHという概念は、76年にヒマラヤの仏教国ブータン国王が発した“GNPよりGNHの方が大切だ”という言葉から始まったものだそうです。ブータンの国勢調査には”あなたは幸せですか?”という質問があり、”No"と答えた人はたったの3%だったそうです。他の97%の人が”とても幸せ”、”まあまあ幸せ”あるいは”どちらかといえば幸せ”だったということになります。


幸福の感じ方は個人の価値観によりますし、人によって幸福とは何かの考え方が違いますからいくらブータンの幸福数値が高いからといって日本と比べてブータンのほうが幸せな国だとはいえません。しかし、多くの人々が自分は幸せだと日々考えているということは、少なくても犯罪の発生率は少ないでしょうし、豊かな精神性をもって暮らしているだろうと想像できます。

もちろん、人の幸福値をあげるために経済成長は欠かせない要素だと思いますが、自分は幸福だと敏感に感じる心やなにが幸福なのかを決定する価値観がはっきりしないままでは、いくら経済的にリッチになっても幸福だと思う人が増えるとは思えません。今後はGNPという経済的豊かさとGNHという精神的豊かさという両面のバランスがますます重要になるように思います。

大切なのは何を幸福と思えるかという”幸福の感受力”ですね。

この国の力を経済ではなくすんでいる人たちの幸福量で測るという考え方は、温暖化を初め問題の山積する今の時代にとてもあった考え方だと思います。

2007年12月19日(水) 09:03
NIKE JASARI


JASARI【スワヒリ語】
1. 恐れをしらない
2. 大胆不敵な
3. 恐れないで

ナイキの新しいキャンペーンのようですね。ただのキャンペーンではなく世の中の幸福値向上に貢献するものであるとよいですね。

2007年12月10日(月) 17:27
96歳の大学生
”96歳の大学生”を読み終わりました。




歌川豊國さんは著名な浮世絵師で歌川派六代目家元でした。とても研究熱心な方で47歳で胃ガンの宣告されたにもかかわらず、手術を勧められても断り、医学書を読み漁って自身で研究して見事克服しました。ご存知の方も多いと思いますがそして1996年、93歳にして「高校生」になりました。浮世絵のすべてを博士論文にしたい、という目標を掲げ、大阪府立桃谷高校定時制夜間部に社会人入学。3年後の1999年、近畿大学法学部法律学科二部に合格。残念ながらその翌年お亡くなりになりました。

その中から幸福に老いる10の法則のいくつかを紹介します。
「青春とは情熱を燃やし続けること」

「青春とは老いを感じないこと」

「青春とはつねに幸せだと思うこと」

とくに最後の言葉はいいですね。他に自分より不幸な人はもっともっといる。そんな人たちに比べると自分の今の状態はとても幸せなのだから、常に幸せであると思うということが秘訣であるとおっしゃってます。

歌川さん大きな勇気をありがとうございます。

2007年12月10日(月) 16:57
本当に幸せな人は?
めっきりクリスマスらしくなってきました。
真っ赤なポインセチアが店頭に並びはじめ、街は一気にクリスマスモードに突入。それにしてもなぜこんな南国の花がクリスマスに出回るようになったのでしょう?

原産国のメキシコでは「聖夜の最初の花」として次のようなお話が伝わっています。あるクリスマスイブに、キリストに捧げ物をしようとした子どもがいました。けれども、何も捧げられる物がありません。そこで、道端の草を摘んで捧げることにしました。その子は、「愛がこもっていれば、どんな物でも神さまの目にかなう」と聞かされていたのです。教会に草を持っていった時、奇跡が起こりました。道端の雑草に、赤と緑の花が咲きました。この草がポインセチアだ、と言い伝えられています。
 また、ポインセチアは、その形からよくベツレヘムの星に見立てられます。ベツレヘムの星が地上を照らしたとき、地面からその星の美しさを写した花が生まれました。その花は星の形をし、白い花びらをして、星の中心は金色に輝いていました。十字架でイエスがその生涯を閉じた時、この白い花びらは赤く色を変えました。それはイエスの血をあらわし、白く残った部分はその犠牲の純潔さをあらわすそうです。




ところで
幸せになるよい格言を見つけたので紹介します。

「本当に幸せな人とは、奉仕する方法を探し求め、ついにそれを見つけた人のことである」
アルベルト・シュバイツアー

幸福の格言をご存知の方は是非投稿してください。

2007年11月27日(火) 13:44

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